子供は寄り道が好き

子供は寄り道が好き

それにしても、子供というのはなんでああも「寄り道」が好きなんでしょうね。

学校の下校時刻というのは決まっていて、当然、親として曜日ごとに了承しています。うちの場合は越境通学ですのでバスを使いますから、そのバスの時刻表にあうあわないがときおりあるので、ある程度の時間差があるものだとは思ってはいます。

それでも、やけに遅いなとか、そろそろのはずなのにまだかな、ということはしょっちゅうあって、しかもベランダからのぞいて見ると、なんと道の向こうのほうにわが子の姿は見えるけど、何が面白いのやら、どっかの工事現場の前にたたずんで身動きひとつしてない……なんてことが、けっこうあるんですよ。

ところで、越境通学ということもあって子供には携帯電話を持たせています。これは、「イマドコサーチ」ってやつがついてるわけですよ。

これで、こちら側(登録してある保護者の携帯電話から)からサーチをかけると、今いる場所の地図とマーキングが出てくるわけです。

そこで、「どうも遅いな」という時はすぐイマドコをかけてみるんですが、するとまぁ、大抵はまず学校近くの公園のあたりにマークがついてますね。緑色の見るからに公園の地図にね(笑)

通学路なので、そこを通るには通るので、とりあえず一度サーチをかけて公園にマークがあったらしばらく様子を見て、5分後ぐらいにまた見てみると、まったくマークが移動してなかったりするわけです。

それはもう、帰りがけの道、ではなく、完全に「公園に寄り道」ですからね。

帰宅したら、こっぴどく叱るわけです。

寄り道をしてはいけないのは学校の規則でもあるし、危険もあるわけだし、なにより心配ですから、常に言い聞かせています。

でも、他のことと違って、怒りながらもどこかで(うん、私もよく寄り道してたなぁ)なんて、ちょっと微笑ましくも思ってるんですけどね。

なぜ、あの頃、寄り道が楽しかったのかもう記憶ははっきりとはしないけれど、でも、思い出として寄り道をしていたことは残ってますから。

本当は子供たちがにぎやかにおしゃべりしながら、近道を探したり探検ごっこなんかして歩いていて、近所のおばちゃんに「まっすぐに帰りなさいよ~」なんて注意されたりするぐらいが一番いいような気もしますが……。

ただ、現在は、いろいろと交通の面でも、また、通学時の子供の安全面での不安はあるものですから、どうしても厳しく言い聞かせることにはなります。ちょっと可哀想かな、とも思いますね。

ホンダエヌワン

誰もが思う後悔

大人になった誰もが一度は思う後悔。「ああもっと勉強しておけばよかった」と、考えたことは腐るほどあります。勉強をしておけばもう少しマシな人生が・・とも思います。

今の人生に不満があるわけではないのです。しょぼくれなりに毎日楽しく過ごしていますし、お金がないなりに節約をしてなんとか毎日食べていけるように頑張っています。

生きていくというのが人生のテーマなら、それはクリアしているのです。しかしクオリティが伴っているかといえば、それは残念な話になってしまいます。

例えばもう少し収入を上げたいなあと思っても、そういう企業に就職しようとすると大学を卒業しているほうが有利になります。学歴なんてといいますが、実際はそんなものです。

全国有数の高校を卒業しても、よくわからない短大生より資格としては劣るわけです。これを友人に話すと「学歴コンプレックスだ」といわれますが、そうだとは思います。

学歴があればなあと思うことは過去何回もありました。勉強しなくて良かった!と思ったことなど一度もありません。

せめてあの時に戻ってもういちど勉強できれば・・・と思うことは人間の証のようなものでしょうね。恐らく戻っても勉強することはないでしょう(笑)人間は同じですから。

ただ、学生の頃よりも今のほうが勉強したいという欲求は大きいような気がします。今資格を取ろうと勉強をしているのですが、時間を惜しんで勉強しています。

好きなことだから、生活に直結しているから、ということもあるでしょう。人間必然性に迫られないとなかなか動けないものかもしれません。

こう思う人間が結婚して子どもを作り、過保護に重ねて「いい学校を卒業して大きな企業に就職しなさい!それがあなたの幸せになるから!」ということになるのでしょうか。

私は今のところそういう予定はありませんが、いざ子どもが生まれたらわかりません。人間が変わって、教育ママになってしまうかもしれません。わかりませんよね。

自分の母親は放任主義といえば聞こえがいいですが、子どもに対して無関心だったのでその反動がくるかもしれません。

好きなようにさせてあげたい、という気持ちもあります。でも大人になった今だからわかることってたくさんあります。その一つが、子どものころは何もわからない、ということ。

例え高校生になっても、世の中のことなど何もわかっていませんでした。大学に行っておいたほうがいい、という当たり前のことですら選択することができなかったのです。

無理やりにでも大学に進んでおけ、と言ってくれる大人がいれば。と結果論の妄想ばかりしてしまいます。